2019年 07月 24日
投票率を見て思う、
「Kaoruはどう思う?」
人種の坩堝、NYの大学留学時代の休憩時間や授業中、またアメリカの友人や家族と話す時、必ず投げかけられた質問。
しかし数秒の沈黙の後、誰かが割って入ってきて意見を述べる。
勿論英語で述べる事に時間を要してはいたけれど、最大の原因は、“瞬時に自分の意見の何を言っていいのか分からなかった”
その内、Kaoruは意見を述べない人=クワイエット(静か)と認識されて意見を聞かれる事も無くなった留学1年目を過ごし、非常に疎外感と今まで日本でそういう環境におらず、政治や宗教etc日本で一般的に話をする事をタブー視する文化にナチュラルに置かれていた自分を思い知った。
正直いって、意見を述べている各国の子達の意見が正しいかなんてそれは全く別の話。そして正解や不正解を求めているようなものでも全くない。勿論、その意見によって叩かれる事など全くもってない。
いろんな意見があって、そのいろんな意見を認め合う。
私はまずそこに衝撃を受けた事を今でも覚えている。
(正直“ぷっ”っと思ってしまうほどのレベルの意見も出てくるんだけどそれも一意見として認められるわけであって)
そして私は思う、
国際的に、このままではダメなんだ。
近年、教育改革の年を迎えているらしく、よりこれからグローバル化に対応する日本に、という事で英語を幼稚園や保育園から導入するところも増えているし、周りのママ友達の殆どは子供達を英語塾に3歳位から入れている。
真のグローバル化とは、英語が出来るだけの事ではなく、それをツールに、どれだけ自分の意見を伝えられるかだと思っている。
まずは、幼少期から母国語でしっかりと「自由に」自分の意見を述べられる教育環境作りがこれからの日本にはさらに必要になってくるんじゃないか、と思う。